被爆者の声を後世に伝えるために

原爆投下の日の足取りを記録した地図
原爆投下の日の足取りを記録した地図

 6月4日、古賀市の原爆被害者の会の代表として長年活動された前田栄治さんの記録をお預かりました。前田さんは2015年10月にご逝去され、私は告別式で弔辞を読ませていただきました。

 前田さんは、14歳のとき、長崎で被爆されました。20年前の「広報こがまち」の「戦後50年特集」に前田さんは、「被爆辞典」というタイトルで投稿されていました。その概要は次のようなものでした。「学徒動員でトンネル工場と呼んでいた部品工場に着いた時に原爆が投下され、爆風で吹き飛ばされた。爆心地から2キロの場所にあった自宅は爆風でペシャンコとなり、やけどを負いながら奇跡的に助かった妹は若くして亡くなった。がれきの中から掘り出した英和辞典が、あの日のことをみんな知っている。辞典のシワを1ページ1ページと伸ばしながら涙が流れてくる。」

 原爆被害者の会の支部長時代に、総会で「元気で長生きし、命ある限り核兵器廃絶を求める」と力強く発言されていたことを決して忘れることはできません。

 前田さんが原爆投下の日の足取りを一枚の絵にまとめていました。「語り部」活動の時に使っていたものです。私はこの絵を古賀市における平和教育の資料として後世に伝えていければと考えています。それが私たちの世代の責任だろうと思います。