古賀市・船原古墳 「日本の宝」世紀の発見巡りシンポジウム

小中学生の質問に答えるパネルディスカッション
小中学生の質問に答えるパネルディスカッション

 1月31日の13時30分から古賀市リーパスプラザ大ホールで開催された「世紀の発見 船原古墳シンポジウム」に参加しました。古賀市内外から多くの方が参加し、「船原古墳は日本の宝」、まさに世紀の発見ということを学べた集まりでした。

 埋納坑を発見した古賀市教育委員会の森下靖士さんは、被葬者像について糟屋地域の最大の政治的権力者だったのではないか、その活動分野や役割はこれからの調査の中で明らかにしたいと説明しました。

 分析作業にあたった九州歴史資料館の加藤和歳さんは、X線CTスキャンなどと連動させた作業で当時の姿を復元できるまたとないチャンス、全て終わるのに10年はかかるが修復が終了したものから順次公開していきたいと説明しました。

 パネルディスカッションでは、船原古墳がある地域の青柳小、小野小、古賀東中の子どもたちから寄せられた90件の質問の中から20件を抽出し、各パネラーが答えるという進め方でした。その内容は主に以下のようなものでした。

❶「船原古墳は誰のもの?」に対し、市民、古賀市のものと説明。文化財は貴重な国民の財産と法律で定められているとのこと。

❷「古墳の材料はどこから調達したの?」に対し、土や石は近くの山から持ってきた、石棺は熊本から岡山や近畿に運ばれたこともあるとのこと。

❸「どのくらいの土地を支配していたの?」に対し、船原古墳、鹿部田渕遺跡、宮地嶽古墳との位置関係が参考となる、糟屋地域の最大の政治的権力者ではなかったかとのこと。

❹「何人で作ったの?」に対し、同規模の古墳での試算を参考にすると、150人で3ヶ月くらいではないかとのこと。

❺「バグは何種類見つかったの?」に対し、金銅製6セットと鉄製5セットで馬11頭分とのこと。国宝の奈良・藤ノ木古墳では3頭なのですごいこと。

❻「宮地獄古墳との関係は?」に対し、外国の馬具やガラス製品があることが共通点、船原も国宝になって欲しい、大和王権の政変などで新羅などとの外交の窓口が交代していたことも考えられるとのこと。

 パネルディスカッションのコーディネーターをつとめた西谷正さん(古賀市文化財保護審議会会長)は、「船原古墳は日本の宝」、「毎年1億円積み立て10年後に10億円で国宝館を造って欲しい」と強い想いを述べられました。

船原古墳の被葬者像
船原古墳の被葬者像